雲乘山 圓林寺

当山は正長元年(1428年)2月14日、慈願大和尚の開基になる天台宗総本山延暦寺の末寺です。町田街道沿いという好立地にあり、相原耕地から津久井山塊を望み、霊峰富士を座仰します。蓮寺としてのいわれは、昭和38年に故大賀一郎博士の二千年蓮を分根、境内に移植し、昭和40年8月15日にはじめて開花したことに発し、今は毎夏さまざまな蓮が咲き誇り、境内を賑わせています。本堂は、室町時代中期の建立と推定され、その後小修理を重ねてきましたが老朽化のため、第37世住職髙築堯明により、昭和63年新本堂建立が成りました。ここに安置されている地蔵菩薩立像、阿弥陀如来坐像は重要文化財に指定されています。また、開運厄除元三大師護摩堂は、北白川宮能久親王の護持仏であった元三大師像をまつり、毎月3日の縁日には早朝護摩修行を行っています。中興開山は頼珍和尚(慶長五年没)で、その後しばしば無住時代があり、第36世住職髙築堯宥大僧正により再び開山。本尊地蔵菩薩立像、阿弥陀如来坐像、元三大師像、また境内をいろどる蓮により、世の不浄を取り払う役割を果たしています。

天台宗の教え

天台大師の教えを日本に伝え、比叡山を開いて教え弘めたのは伝教大師最澄(さいちょう)です。

全ての人は皆、仏の子供と宣言しました

釈尊が悟りを開かれたから、悟りの世界が存在するのではありません。それはニュートンが林檎の落ちるのを見ようが見まいが引力が存在するのと同じことです。悟りへの道は明らかに存在するのです。そして悟りに至る種は生まれながらにして私たちの心に植付けられていると宣言しました。あとはこのことに気付き、その種をどのように育てるかということです。

悟りに至る方法を全ての人々に開放しました

仏教には八万四千もの教えがあると言われていますが、それらは別々な悟りを得る教えではなく、全ては釈尊と同じ悟りに至る方法の一つでもあるのです。例えば座禅でも念仏でも護摩供を修することでも、巡礼でも、写経でも、もっと言えば茶道、華道でも、また絵画、彫刻でも方法はさまざまでいいのですが、そこに真実を探し求める心(道心)があれば、そのままそれが悟りに至る道です。日常の生活にもそれは言えることです。
多くの開祖を輩出した天台宗が日本仏教の母山と言われるのも、また日本文化の根源と言われるのもこのことからです。

まず、自分自身が仏であることに目覚めましょう

そのために天台宗ではお授戒を奨めています。戒を授かるということは我が身に仏さまをお迎えすることです。仏さまとともに生きる人を菩薩といい、その行いを菩薩行といいます。

一隅を照らしましょう(一隅を照らす運動)

心に仏さまを頂いた人たちが手を繋ぎ合って暮らす社会はそのまま仏さまの世界です。一日も早くそんな世の中にしたいと天台宗では考え「一隅を照らす」運動を進めています。
まず自分自身を輝いた存在としましょう。その輝きが周りも照らします。一人一人が輝きあい、手をつなぐことができればすばらしい世界が生まれます。